Emily Dickinson’s Film

19世紀のアメリカの詩人、Emily Dickinson を描いた映画が佐賀のシアター・シエマさんで上映されるそうです。(10月29日から)個人的にとても好きな詩人です。
Autumn にも選詩集と訳詩集をそれぞれ1冊ずつ置いています。
どちらもお貸しできますので、ご興味のある方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

おじいさんのうた

食べんしゃい

おじいさんは今日も突然やってきた
いつもの足音
縁側のところで声がする

「かぼちゃ 太かつがある ちょっときんしゃい」

我が家の隣はおじいさんの車置き場
車の中にはおじいさんの畑で採れた野菜が数種類
“はじめまして”
えびすかぼちゃ なすび きゅうり

「こん かぼちゃは えらいうまか
肉と炊いたら ころっとうまか
天ぷらにしたってよかし
食べんしゃい」

そう言って私に持っていけと目で合図した

なすびはちょっと硬そうだけど 食べてみよう
そう思いながら私は野菜たちを運んで縁側に置いた
どさっ

もらったそのかぼちゃをじっと眺めていたらまたすぐにおじいさんはやって来た

「麦茶を一杯飲ませんかい」

湯呑のお茶は一気になくなった
そうしておじいさんは少し話したら さよならも言わずに帰って行った

おじいさんの家の玄関には黒猫が一匹
主人の帰りを待っていた

“食べんしゃい”

私の中でおじいさんのこのことばが繰り返し響いていた

詩を:文月

ベルガモット礼賛

赤い大きな花
雨の中 緑の庭にひときわ目を惹くベルガモット

梅雨の間じゅう咲いていたこのベルガモットがとうとう枯れてしまった

けれども 今の私には“枯れる”という表現がしっくりと来なかった

素足のまま なりふり構わず 髪を振り乱して走り抜けた
雨の中でも 勢いは変わらず踊り続けた
雨音というリズムに合わせて

ひとときもじっとはして居られず からだじゅうに稲妻が鳴り響いた
頭の中は冴えわたり 閃光が皮膚に浸み込んでいった

夏の雨 そして、ひとときの夢であった

しばらく降り続いた雨は一気に上がり 土壌は乾いた
昨夜までの情熱も雨に混じって土の中に溶け込んだ

そして
私はようやく腑に落ちた

ベルガモットは満ち足りた表情で笑っているのだった
すっかり乾いて ちりちりになっていたけれど
彼女は美しかった

私が顔を近づけると 先端が薄紅色の花びらを落としながらまた笑った

雨と太陽 そして乾いた土の匂いがした

詩:それぞれの一日

今朝はくもり

 

あきちゃんとけんかをした

今朝は早朝からの仕事でいつもより40分早く家を出た

保育園に向かう車の中で あきちゃんはいつものCDを聴きたいと言った
それはわらべ歌が15曲ほど入っているCDだ
けれども実際にかけてみるといつものように大きな声で歌うわけでもなく
下を向きながら「コレ チガウ」
と私に次の曲へと早送りをするように言うのだった
1曲目をやめて2曲目にうつるとまた「コレ チガウ」
この繰り返しだった

8曲目くらいまで早送りをしたあたりから私の忍耐と寛容さのスイッチが切れてしまった
「もう こんなの嫌 聴きたいのが無いならこのCD消す」
音楽はなくなり、保育園の駐車場に着くまで沈黙は続いた
CDを消してからもずっとあきちゃんはうつむいたままだった

私の焦りをそのままあきちゃんは吸収し それがさらに濃縮されて彼女はことばを失ってしまった

「あきちゃん てをつなごうよ」
しばらくして外の空気を吸ったおかげで私は少し気持ちが和らいだ

「ごめん まま あせってしまって さっきはこわかったね」
しばらくまた無言のまま 二人で手をつないで歩いた

「......あっこちゃん ままのこと だいすきやけん」
涙をこらえながら あきちゃんは力強く言った

私は思わず息をのんでしまった
「......あきちゃん ありがとう ままもすきやけん」
これ以上 私はことばにすることができなかった

私たちは保育園の門のところでさよならをした
「いってらっしゃい」

空を見上げてもお日様は出ていなかった

仕事をしながらも さっきの娘のことばがからだじゅうで何度も繰り返し響いていた

 

 

菜の花の香りに包まれて

みなさん、こんにちは。久しぶりにジャーナルを書いています。
昨夜から家じゅうに菜の花の香りがふんわりと広がっているんです。
この数週間忙しなく日々が過ぎていきいつもどおりの日々から遠ざかっていました。泡をふく厄年の自分。なかなかのドタバタ劇でしたよ(笑)。
仕事以外に初めての経験がいくつも重なりましたが、全てが無事に終わってほっと一息ついているところです。

初めての経験その1です。昨日はころころ保育園の卒園式でした。在園児もその保護者も全員が卒園式に出席してどろんこになって遊びきったかぶとむし組さん(卒園児の年長組さん)の卒園を祝福しましょう!それが園長のまゆみさんの方針なのです。しかも卒園児の保護者は、何かしらの卒園表明のようなものを何らかのかたちで発表せねばならないのです。
二年後、正直なところどの程度自分も関わっていけるのか心配なところもありますが、昨日のかぶとさんの保護者の発表を見て彼らの底力のようなものをたっぷりと感じ取ることができ勇気をもらえたような気がしています。
夫婦1句ずつ園生活の思い出を俳句に表されて、その後はかぶとさんの保護者全員でのソーラン節の発表がありました。「皆さんどこにこんな力があったの???」という位迫力がありました。皆さんの息もぴったりと合っていたのできっと保護者の方同士の関係も良いのだろうなと思いました。
かぶとさんたちは、日ごろの園での取り組みを発表してくれて、日々の彼らの修行の成果がそのまま表れていました。とび箱6段の高さの竹馬にひょいっと乗って蟹歩きや速歩きをしながら全員の前を回ったり、鉄棒の連続回転20回(これは見ている方も目が回るほどの速さの子もいました!)など、それぞれの子どもたちが卒園式に向けて目標を決めてそれらに取り組むという流れになっていました。全く保育園のことを知らない人が初めてこの式を見たとしても目頭が熱くなるような思いの詰まった式でした。かぶとのみなさん、そして保育士さんたち、本当に今日までお疲れさまでした。

……そういえば、初めての経験のことを書こうとしていましたね。
そうそう、このお話には続きがあるんですよ。
あのですね、卒園式の後にお母ちゃん会というのがありまして、それにも参加してきたんです。これは、卒園するお母さんをねぎらう会のような趣旨で毎年在園のお母さん同士で企画して準備することになっています。今年は、我が子のクラス(かえる組)が担当でしたので「自分ができることは何か」いうテーマでできる限り関わらせてもらいました。当日の会場準備やそのお知らせなども含め与えられた時間はひと月ほどでした。
私は、集まりなどにはほとんど参加できないので、私にできることは何かということをクラスメートのあるお母さんが考えて提案して下さったのでした。この方はAutumn の生徒さんでもあるので私の普段の事情もよくわかっていらっしゃいます。彼女のおかげで無理なく当日の会のお世話をすることができました。
会の始まりと終わりに1編ずつ詩の朗読をする。これが、今回の私の役割でした。冒頭に朗読した詩は、一昨年の秋に書いたもの。卒園という節目の時にちょうど良い内容になっていると思います。

雨上がりのうた

~境界線~

嵐が過ぎ去り 街が静かになるひととき

夜が明け 朝が身支度をはじめるひととき

一幕の季節が幕を閉じ 次の一幕へと移り変わるひととき

変化を遂げる全てのものたちへ

敬意を表して

次なる時へと移る前に 一呼吸を共に感じていきたい”

それから会の終わりに朗読させていただいた詩、これは北海道の詩人、稲尾教彦さんの詩集『夕立と群青』からの1編でした。日常の暮らしの中に美しさが存在するということをこの詩集は教えてくれます。稲尾さんとのつながりに関してはまた別の時に書こうと思います。

私以外のお母さんたちは、7人でラインダンスを無事に披露されました。短い練習期間だったにもかかわらず一つの踊りがちゃんと出来上がっていて、しかも踊っているお母さんたちが楽しそうでそれが何よりでした。
みなさんが直前に最後の練習をされているとき、私はホールの隅の方でひとり摘みたての菜の花を小さなブーケにしてまとめていました。今回のお母ちゃん会の準備と発表を通して、それぞれに持ち場がちゃんと確保されているということがわかりました。その安心感のおかげで無理なく自分にできることは何かと前向きに活動に参加でき、それが何よりの収穫だったと思います。
みなさん、お疲れさまでした。

 

 

 

 

山には 木があって 森がある

水があって 川がある

そして 山には 思い出があって あの時の風景がある

ふと見る景色の中には いつも 山がある

 

少し前まで 私の見上げた先にはいつも 耳納(みのう)の山が見えていた

それは 子どもたちが せっせと 砂場でお山を作って出来上がった裏山のようだった

庭のむこう側にある 畑から石段を登っていけばすぐのところに とっぺんが見えるような山だった

耳納の山は 人と山が近くに感じられる山だった

 

いま ふと見上げるずっと先には 背振の山々が広がっている

それは 子どもたちの作った砂山のようではなく

庭のむこう側からすぐのところに見えるような山でもない

にこやかに 手を差し伸べてくれるような 山でももちろんない

けれども 毎朝起きたら 私が必ず目にする風景の一部なのである

 

この山は 毎朝静かに 「おはよう」とだけ言ってくれる

私も 「おはよう」とだけ言って返し その日がまた始まる

 

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