時間をかけること

今年の春は山の恵みをこれまでにないほど堪能させてもらっている。本当に幸せなことである。
先週は脊振の保育園に娘を送った帰り道、途中で車を停めて蕗を採った。早速その晩の主役おかずに華々しく登場。5歳の娘は「苦いけど...」と言いながらも、目の前の母親があまりにもうれしそうに細長い茎をたくさん頬張るので少々あきれ気味に一緒に味わってくれていた。
たけのこは近所の人に何度かもらったりして今年は自分の台所でゆっくりと茹で竹の子を作る機会が増えた。茹でた後に一晩置いて次の日に鍋の蓋を開けてみる。その瞬間がたまらない。茹でる前は、あんなに堅かったのに鍋の中で一晩湯あみをし別物のように柔らかくなっているのだから。タッパーに小分け保存し、ほぼ毎日何かしら竹の子料理を作っている。竹の子ご飯、天ぷら、卵とじ、味噌汁、味噌漬、それからカレーにも。どんなに火を通しても上の方の柔らかい部分以外は荷崩れるということがない。ある程度の堅さを残しつつも色々な料理に重宝し臨機応変に対応してくれる万能選手。
蕗だって竹の子だってこの季節お店に行けば手に入って、しかも竹の子は茹でられた状態の物も多い。でも、季節のものを愛でながら調理する前の段階まで食材と共に変化を楽しむことが私は大好きだ。だから、掘りたての土が付いたままの食材を手にできることはこの上なく幸せなことなのである。
時間をかけることは面倒だというのが主流になっている社会だけれど、ひとつのことを何かいつもより時間をかけてやってみるとこれまでに味わったことのない感動や発見があって楽しいものだと思う。
蕗を山で採っているとき遠くの方で鶯が鳴いていた。娘が食べるのを見ながら朝の時間の静けさに満ちた山と朝露の感触を思い出していた。

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