日常のとらえ方

ここ最近よく思うことがある。それは、いつも通りの日常がとてもありがたいということ。
娘を保育園に送って掃除をして英語教室の準備をする。レッスンが入っていない合間の時間に洗濯をし、夕飯の支度をすることもある。
そうこうしていると夕方になりまた娘を迎えに保育園へと向かう。
家事と仕事、そして母親業。一つの体をフルに動かして毎日を精一杯生きる。
夕方からレッスンがない日は庭の花たちにたっぷりとお水をあげる。
少しほっとしたいときはコーヒーやお茶をゆっくりと淹れて楽しむ。
「この前植えた日々草元気ね。」
庭のプランターに植えた花たちのことなどを母と話しながら。

日々同じことの繰り返しのようだが、決して単純なわけではなく ひとつひとつが昨日とは違うリズムで動いている。
それはとても些細なこと。だから感じることに鈍感になってしまうとその微細な変化に気づかないまま日常が過ぎていく。
しあわせに暮らすということはその微細な変化を生き生きと感じながら毎日を過ごしていくことなのではないかとこの頃よく思うのである。

昨日いつもの神社まで娘と水を汲みに行った。
私が水を汲んでいる傍で彼女はひらひらと舞う蝶を追いかけていた。
自分の手のひらに収めたかったようである。
水汲み場から視線をふと娘の方に向けた。
両手を頭の上に高く上げながら蝶を捕まえようとしている。その姿はとても一生懸命で思わずこちらが笑みをこぼさずにはいられないほど輝いていた。
ターコイズブルーのワンピースを着た3歳の女の子。
光の中で踊る小さな天使のようであった。

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