今夜も蛍

今夜もちらほらと蛍が飛んでいた。
家の前の小川や近所の庭先に光る灯。小さいながらもふわっと最大限に光る瞬間の灯は息を呑むほどに美しい。光を放つ時も飛ぶ時も無音の蛍と周りの虫たちの大合唱のコントラストが丁度よく溶け合って夏の夜を楽しませてもらっている。時折涼しい風が吹いてくる。
5月の下旬から毎晩のようにあきちゃんと寝る前の短い散歩を楽しんでいる。だいたい布団に入る準備を全部済ませてから蛍たちに会いに行く。毎日見ていても飽きない蛍たち。心が静かになる。
玄関の扉を開けたら蛍が居るという安心感からなのか、あきちゃんは捕まえてしばらく自分の手の中に持っていても家に入る前にはまた放している。「おやすみ。また明日ね。」
もうしばらく蛍との時間が楽しめそうだ。

雨の季節に詩を

だから 私は

 

大地は潤っている

紫陽花が見事だ

蟻の行列はどこまで続いているのだろうか

ねえ お隣さんが来られているよ

 

あなたとの時間は 果てしなく広がるけれど ほんの一瞬なのさ

 

猫があくびをしたね

これから どこに出かけていくのだろうね

猫のあしあとを いつの間にか追っている

あなたも 私も

こんな時間が愛おしくて ことばを発することをつい 忘れてしまう

あなたは余韻を残して また いなくなる

 

ひとりになってしばらくすると ことばと戯れたくなる

あなたと見たもの 感じたものを もう一度思い出して

文字にする

今度は ちゃんと言葉にする

だから 私は

あなたに 手紙を書きたくなる

祖母の台所

こんにちは。今日も神埼は快晴です。八天山がはっきりと見えてその頂上の更に上を様々な形をした雲がゆったりと浮かんでいます。山際は凹凸部分まで緻密に書かれた線のようで眺めていたら時の経つのを忘れてしまいます。

みなさんはお元気にお過ごしですか。私の方は普段と変わらず鳥栖と神埼の往復生活を楽しんでいます。日常の中に英語を学ぶ時間をどうしたら作っていかれるか生徒さん達と試行錯誤しながら日々を暮らしています。
二週間前から始めた【英語の小説を1冊読み切る】という新しいクラスでは、日系アメリカ人Cynthia Kadohata の『Kira Kira』を読んでいます。毎回1章ずつ読んできてもらうことを毎回の課題としています。どうか挫けずに読み進めて下さいね。こちらのクラスについての詳細はまた別の機会に書くことといたします。

さて、本題に入りますね。今日は昨日行って来た祖母の家でのことを書きます。
私の祖母は今年の夏で92歳になります。夏の一番暑い時に生まれたので夏子さん。この夏子さん、今でも元気で台所にも立つことができています。祖母は私の叔父と二人で暮らしているのでその叔父さんが台所のこと、畑のことなど本当に何から何まで頼もしくサポートしてくれているのでこれまでの自分のリズムを崩さずに暮らせているのだと本当に叔父さんには頭が下がります。もちろん祖母は元来とても働き者なので日々の暮らしの中で沢山体を動かして自分で体力づくりをしていることも元気に過ごせる大きな理由なのだと思います。
この数年は私自身が引っ越しやら自分自身のことで精一杯で祖母の家はしばらくご無沙汰になっていましたが、ようやく去年の終わりごろから娘を連れて遊びに行くというリズムができてきました。母方のこの祖母とは一緒に住んでは居なかったけれど、頻繁に泊まりがけで遊びに行っていたので家族同然の存在でした。数え切れないほどの思い出がありますが、祖母との時間を象徴しているのはやはり台所です。泊まりに行くたびに祖母と一緒に買い物に行って夕飯の支度をする。これが祖母の家で繰り返しやってきたこと。今は、叔父さんが買い物に行ってくれますが、自分の畑から必要な野菜を採ってきたり調味料を揃えてくれたりと、やはり台所を取り仕切っているのは祖母のようです。
昨日は、叔父さんの好きなおかずでしかも祖母の畑の野菜が使えるものをと考えたメニューはコロッケ。分業制になった台所は新しいメンバーが加わり新たな活気が生まれてきたように感じました。もちろん新メンバーはあきちゃんです。叔父さんとあきちゃんが買い物に行っている間、祖母とジャガイモを茹でたりとコロッケの下準備をして待っていました。二人の帰宅後みんなで丸めて衣をつけてあっという間にコロッケの完成です。
祖母を囲んでみんなそれぞれができることを担当しながらの夕飯の支度は勢いがあって楽しい。家族の力を養ってくれる台所は時代が変わっても動き続けています。祖母の台所に立ちながらその場所の重みを感じていました。

時間をかけること

今年の春は山の恵みをこれまでにないほど堪能させてもらっている。本当に幸せなことである。
先週は脊振の保育園に娘を送った帰り道、途中で車を停めて蕗を採った。早速その晩の主役おかずに華々しく登場。5歳の娘は「苦いけど...」と言いながらも、目の前の母親があまりにもうれしそうに細長い茎をたくさん頬張るので少々あきれ気味に一緒に味わってくれていた。
たけのこは近所の人に何度かもらったりして今年は自分の台所でゆっくりと茹で竹の子を作る機会が増えた。茹でた後に一晩置いて次の日に鍋の蓋を開けてみる。その瞬間がたまらない。茹でる前は、あんなに堅かったのに鍋の中で一晩湯あみをし別物のように柔らかくなっているのだから。タッパーに小分け保存し、ほぼ毎日何かしら竹の子料理を作っている。竹の子ご飯、天ぷら、卵とじ、味噌汁、味噌漬、それからカレーにも。どんなに火を通しても上の方の柔らかい部分以外は荷崩れるということがない。ある程度の堅さを残しつつも色々な料理に重宝し臨機応変に対応してくれる万能選手。
蕗だって竹の子だってこの季節お店に行けば手に入って、しかも竹の子は茹でられた状態の物も多い。でも、季節のものを愛でながら調理する前の段階まで食材と共に変化を楽しむことが私は大好きだ。だから、掘りたての土が付いたままの食材を手にできることはこの上なく幸せなことなのである。
時間をかけることは面倒だというのが主流になっている社会だけれど、ひとつのことを何かいつもより時間をかけてやってみるとこれまでに味わったことのない感動や発見があって楽しいものだと思う。
蕗を山で採っているとき遠くの方で鶯が鳴いていた。娘が食べるのを見ながら朝の時間の静けさに満ちた山と朝露の感触を思い出していた。

よもぎのケーキ

久しぶりの雨です。大地が潤ってこちらもほっとします。
昨夜は雨の前でとても蒸し暑かったので夕飯にさしみこんにゃくを食べました。これは脊振名物で近所にある渓谷の店で買えるんです。つるっと喉を通る淡白な味が昨夜はとりわけおいしく感じました。
「これは良いね~。」と何度も娘と言い合いながら地元の食べ物を楽しんだところでした。
夏が近くまで来ている気配がします。

さて、地元のものといえば、そう、この季節恒例のよもぎです。
数日前の晴れた日に近所の川沿いの散歩道でたくさん摘んできました。早速ケーキを焼いて残りはお茶用に干しています。娘と食べたりレッスンの時に生徒さんに食べてもらったりとこの季節ならではのティータイムは格別です。
去年のよもぎケーキを一緒に食べたお友だちの話やそのよもぎを摘んだ場所などを娘と話しながら春の思い出話がまた楽しいのです。その時々に登場する人物たちや場所を改めて思い返してみると全てが物語の箱にでも収まっているようで愛おしくなります。
生きていること自体が物語なんだな~と雨を眺めながらうれしくなるAutumn でした。

土器山八天山へ

みなさん、おはようございます。今朝も鶯の歌声が心地よく響いています。

数日前、土器山八天山に登って来ました。この山は我が家の目の前にある標高429メートルのこじんまりとした山で昨年から登ってみたいと思っていたところです。
頂上に八天神社の上宮が祀ってあり山全体が御神体とされている霊験あらたかな山なのです。
頂上まで1時間程で登れると聞いていたので今回は一人で挑戦してみることにしました。登山は久しくしていなかったので恐る恐るゆっくりと登り始めましたが、登山道の狭さとその作りの意外性にとても驚きました。まさかの上り坂!だったのです。ここは普通の登山道と違って、むき出しの花崗岩を掘削して順路が出来ているので登山というよりも岩登りに近い感覚でした。ところどころ四つん這いになって一歩ずつを慎重に進んで行きました。
頂上の少し手前には親不孝岩と呼ばれている巨大な岩があって親不孝者がこの岩の下を通ると岩が落ちてくると言われている場所だそうです。今回私の上には落ちてこなかったのでほっとしながらようやく頂上に到達することが出来ました。
いつも下から眺めている山の上に登って下の様子を眺めることができたことが一番良かったです。全体を俯瞰して見ると意識が広がり、日常の些事を大らかに眺めることが出来て行けそうです。

友人から譲ってもらった手製のお皿を上宮に奉納し、これからの幸せを祈ってきたところです。
日毎にここでの暮らしが根付いてきてなんだか私も唄い出したくなってきました。

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